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【中日双语专栏】日本のカレンダーが思い出させてくれた両親への情

2016年 3月 2日9:56 編集者:兪静斐

作者:莫邦富 (日本語訳:広江祥子)

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 これまで年末に上海へ帰省する際にはカレンダーをいくつか持って帰るようにしてきた。日本と中国では祝祭日がかなり異なるため、上海の実家に日本のカレンダーを飾ってもそぐわないと感じていた。だが、それでも両親が喜んでくれるのは私が日本で暮らしているからだろうと思い、毎年せっせとカレンダーを持ち帰っていた。

 今回の年末年始は仕事の関係で東京を離れられず帰省できなかったため、上海の実家にもカレンダーを届けることができなかった。そうしたなか、微信(wechat)では、上海在住の友人が日比谷花壇のカレンダーを皆にプレゼントしているのを見かけ、花のカレンダーはいい目の保養になるだろうと思い、こっそり友人に頼んで実家に1部送ってもらうことにした。

  

 すると、真面目なその友人は細やかな計らいでカレンダーと一緒に花束も送ってくれた。私からこのような年始の贈り物が届くとは想像もしていなかった両親は大喜びだった。

 そのことを知って、私は大いに感慨を覚え、また深く恥じ入った。感慨を覚えた点は、両親が求めているのはとてもシンプルで、彼らを気にかけるだけでよいのだということだった。恥じ入った点は、しばしば私が忙しさを理由に両親を気にかけることをせず、無意識のうちに彼らの心を傷つけてきたかもしれないということである。今回、気のきく友人の好意のおかげで私のポイントが随分とあがった。

 思い起こせば、私が両親や弟妹と生活をともにしたのはほんの短いあいだである。16歳のときに黒竜江へ下放されて早々と彼らの元を離れ、その後進学した大学では寮生活を送った。私が上海外国語大学で教壇に立っていた8年間が、両親にとって一番楽しかった頃だろう。娘が生まれると、当然ながら彼らはとてもかわいがってくれた。

 だが、その後私は日本に渡り、そのまま海外居住者となった。自ら命名した新華僑となったのである。

 私は中国出張の際にはなるべく上海から出入国するようにし、少ししか会えなくてもできるかぎり時間を捻出して実家に顔を出し、一泊するようにしている。だがそれでもやはり両親との時間はそれほど持つことができなかった。両親が病気をしても病院に付き添ってあげることはできず、なにか悩みごとがあっても気づいてあげられなかった。心に虚しさと申し訳なさが残る。

 両親は私がどんな仕事をしていて、日々どういったことに忙しくしているのかを知らない。インターネットとは縁遠い生活をしている彼らは、テレビや以前定期購読していた新民晩報で、私についての報道をときおり目にすることがあるだけだ。両親にとってはっきりしているのは、私の専門が日本語で、現在日本で暮らしていて、彼らには読めない日本語の本を出しているということである。だからたとえ中国の祝祭日が載っていない日本のカレンダーであっても、両親にとってはそこに息子の消息が感じられるのだろう。私はひそかに心に誓った。これから毎年年末には必ず両親に日本のカレンダーを持ち帰ろうと。