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「人非草木,孰能無情」

2015年 9月 26日13:42

  家に、家族の一員として、ペットの犬、シーズーのららを迎えてから、すでに3年半になった。時間が経(た)つのは本当に早いものだ。ららと一緒に暮らしてから、時々、犬の視点から物事を見るようになったのをはっきりと自覚している。

 先日、鬼怒川の堤防決壊により、茨城県常総市が大規模な水害に見舞われた。当時、屋根の上で助けを待っていた住民2人を陸上自衛隊員が救助したとき、その2人が抱えている2匹の犬までも一緒に救助した。この様子がテレビ局のヘリコプターから生中継されたため、大きな注目を集めた。そして、犬の命まで救った自衛隊員のとっさの判断と行動を称賛する声がわき上がった。

 確かにこれを「ルール違反」と指摘する声もネットには出たが、私はその判断と行動を評価していいと思う。

 しばらくしてもうひとつ、犬と絡んだ話が私の目に留まった。

 それも茨城県常総市での話だ。鬼怒川の堤防が決壊した日の午後1時過ぎ、平野淳一さん(43)という地元の住民が犬の鳴き声に気づいて外を見たら、大人の胸ほどまである濁流の中、犬が水から顔だけを出してフェンスにしがみついていたのを発見した。

 報道によれば、平野さんは一瞬迷ったが、見捨てるわけにはいかないと判断して、水の中に分け入った。押し流されながらも手を伸ばし、犬を抱え込んだ。そして、停電で真っ暗な自宅2階で、震える犬と一晩過ごした。翌日、引き取りに来たその飼い主に犬を渡した。

 8人の死者も出た堤防決壊による水害のなかで、他人の犬の救出に身を挺(てい)したその行動に感動を覚えた。

 中国のことわざには、「人非草木,孰能無情」というのがある。人間は草や木ではないので、無慈悲にふるまうことはできないという意だ。犬の命までも救助しようとするその社会と人々の行動に、私は敬意を払いたい。

 うちのららの行動を観察してみると、いろいろ考えさせられる行動がある。時々、妻も私もそして娘も仕事などの関係でどうしてもららの面倒を見ることができない日がある。そのときは、ららを近隣の日本人の友人や新華僑の友達、事務所の関係者に預けてその面倒を見てもらう。

 後日、ららはこうしてお世話になっている方々に出会ったとき、必ずと言っていいほど走りよってあいさつしに行く。尻尾を振ったりとびかかったりして、再会できた喜びを惜しみなく表現する。動物もここまで豊かな感情をもっているのだから、人間である私たちはより助け合う社会作りに励むべきだ、とつくづくと思う。犬の救助報道から、人非草木,孰能無情という成語の意味を改めて噛(か)みしめた。

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人非草木,孰能無情(rén fēi cǎo mù,shú néng wú qíng)

レン フェイ ツァオ ムー,シュー ノン ウー チン