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滬上洋食昔話(一)

2017年 3月 21日17:00 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

作者:銭 暁波

 日本の洋食の発祥地は意外と東京ではなく、長崎にあるという。グラバー園の一角に「西洋料理発祥の碑」という石碑があって、そこは日本初の西洋料理のお店、「自由亭」の跡地である。今は復元され、喫茶室になっている。オランダ人が考案したといわれている水出しの方式によって抽出された薫り高く濃厚なダッチコーヒーをかつて、そこで楽しんだ思い出があった。

 「自由亭」が長崎で開業したのは1863年。その創業を背後で支えたのは薩摩藩士五代友厚のようであった。五代友厚といえば、その一年前に上海に渡ったことはあったが…

 話はだいぶ逸れたが、実は、今回は上海の洋食をテーマにその歴史を少々ふりかえってみたい。

 西洋料理は「自由亭」の開業とほぼ同じ時期に、当時の東アジアの窓口、上海にもやってきた。その時代、上海にはすでに洋食屋が点在していたが、もっともよく知られていたのは「一品香」という老舗のようである。

 「一品香」の全称は「一品香蕃菜館」という。「蕃菜」とは西洋料理のことを指す。1907年に出版された遠山景直が著するガイドブック『上海』の「蕃菜館」の節には、「其初めは四馬路の一品香に創る」という記載がある。「一品香」が上海ないし中国の最古の洋食屋であるかどうか、さまざまな説があって、なかなか考証は難しいが、十九世紀八十年代の初頭には開業されていたはずである。また、清朝末期の上海の各「蕃菜館」のなか、「一品香」は一二を争う商売繁盛の名店であったことは確かである。

 「一品香」の活況ぶりをみての影響であるかどうか定かではないが、その時代の四馬路(スマロ:現福州路)は花柳街として世に知られているほかに、通りに洋食屋は多く、「洋食街」と呼んでも差し支えないほどであった。遠山景直の記述によると、「今其の盛名ある店舗を挙ぐれば即ち一品香、一家春、江南春、三台閣、海國春、萬長春、吉祥春、金谷春、金谷香などの諸館なり」。当時、洋食がこれほど流行ったとはまったく意外である。しかも、「春」が付く店名はとくに多く、まさに四馬路の「春」風駘蕩たる趣と合致している。実際、当時の洋食屋のスタイルというのは、食を楽しむだけではなく、「西洋料理の卓に就て妓を聘す」というのであった。遠山氏にいわく、「語を代ふれば西洋料理を以て妓を聘する所を蕃菜館と言ふ如き慣習を生じ、単に西洋料理を営業とせざるものなり」、さらに、「是れ其西洋料理の四馬路に盛にして上海の各方面に盛んならざる所以なり」。やはり四馬路に「蕃菜館」が集中していることはそれなりのわけがあった。いってみれば、食と色とは、生命の永遠なる本源であることはここでもよく検証されている。

 当時の文芸資料などを読むと、この「一品香」はその時代の風流人、とくに文人墨客のたまり場になっていたようである。そのなか、上海に訪れた日本の文学者が後に書いた紀行文や随筆などにも「一品香」の名はよく出てくる。

 その話について、次回ふれておきたい。