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孤独なる愉悦(一)

2016年 10月 18日15:54 編集者:兪静斐

  作者:銭 暁波

 よく学生から何かおすすめの小説はあるかと聞かれ、かつて同じように質問して、大学の恩師が推薦してくれた何冊かを思い出し、たずねられるたびにそれを答えとしてみなさんにもおすすめしている。

 なかで読んでもっとも印象に残った一冊を今回、取り上げていきたい。

 デビット·ゾペティ氏の作品『いちげんさん』である。

 京都のある大学で日本文学を専攻する「僕」は偶然に対面朗読というアルバイトを引き受け、それをきっかけに盲目の女性、京子と出逢う。京都の四季のうつろいの中で、二人の間に愛が芽生え、はぐくみ、そして結ばれる。時が静かに流れていき、「僕」は卒業論文を書き上げ、フランスで就職先が見つかり、日本から離れることを決心した。障害をもっているがゆえに人一倍独立心の強い京子も就職することになり、人生の転機を迎えた二人はついにそれぞれの道を歩んでいくと決めた。桜の花びらが舞う夜の円山公園で、別れを告げ、白い杖を手に一人で歩いていく京子の姿を、「僕」はいつまでも見送った···

 異国者同士の蒼き愛を綴った純愛物語である。1997年に出版され、第二十回すばる文学賞を受賞し、芥川賞の候補にも選ばれたこの秀作はのちに映画化され、京子役は鈴木保奈美が好演で、いささか話題をよんだ。二十年近く前の作品だが、今読み返しても時代的な隔たりがなく、「僕」と京子のせつない恋情が京都の抒情的な日本風景を背景にゆっくりと展開され、潺湲たるせせらぎのように、いつまでも美しくながれ、読者の心を潤していく。

 小説の基本はラブストーリーだが、なかには留学生の目からとらえた京都の印象、さらに「ガイジン」である作者の日本観についてもところどころに織りこまれ、考えさせられたりする箇所も多く、文化論として読めるところも多々ある。小説のタイトルの「いちげんさん」はきわめて日本的で、文化的な意味も非常に深いのである。

 作中人物といくつもの共通の部分をもっていれば小説をより一層楽しめる。主人公の喜怒哀楽をより身近に分かち合えるし、共感で小説に深く入り込むこともできる。

 「僕」も当時の小生も異国からやってきた留学生で、日本文学を専攻するところはほぼ同様だが、古い書物をこよなく愛し、初版本収集という道楽をもっているところもうれしい共通点である。ただ、小生は手頃の値段で買い集めてきた初版本をひたすらマイ・コレクションとして飾っておくのが好きで、「僕」は入手した高額の初版本をしばらく手元におき、古いものの重厚さを十分に味わってからまた惜しまずに手離す。決して占有を目的としない「僕」の無欲な態度は、小生の独占欲と比べ、極めて高潔かつ洒脱である。

 ラブストーリーとしても、文化論としても、読者の視点に合わせて、多角度から解読することで作品はさまざまな色になり、まさに五色絢爛である。

 さて、この小説を読んで二十年経ったいまでも、ときどき思い出して吟味しているが、それは意外なところに共感があったからである。その詳細は次回、ゆっくり語っていきたい。