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幻花(一)

2016年 9月 22日16:51 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  作者:銭暁波

 暦上ではとっくに立秋が過ぎているのに、首を長くして待ちくたびれても爽やかな秋風がなかなか来ず、昼間は依然として蒸し暑い天気が続いている。悶々とした淀んだ空気が重く悩ましき頭上にこもり、ちょっと動けば大汗をかいてしまうほど、九月に入っても、文字通りの「残暑」は思ったよりきびしく、気持ちを苛立たせてしまうのである。

 上海の長い長い夏は、最後の粘りをみせ、なかなか去ろうとしない。

 そういうときは、どこかに「ツツーホー、バレーホー」(梔子花、白蘭花)の呼び声が虚ろに聞こえ、脉々として漂う花香とともに、幼少時の光景がまざまざと瞼に浮かび、懐かしく思えてくるのである。

 せせらぎのように流れてくる江南水郷ならではの「呉儂細語」(江南地域の方言)をつかっての呼び声は、クチナシ(梔子)とハクラン(白蘭)の花を売る農婦の声である。椅子に腰掛けている農婦の前には竹でできた小さな籠が置かれ、そこに青色の布が敷かれている。二本ひと組同じ種類のお花が針金で結ばれ、青色の布にたくさん並べられている。針金の上部は輪のようにできていて、衣服のボタンにかけ、吊り下げることができるような仕組みになっている。

 まだ香水というものが世に流行り出す前に、おしゃれな婦人たちが農婦からお花を買って身に付け、花香をめで、「弄花香満衣」(花を弄すれば香り衣に満つ)の趣で、優雅に夏を過ごした。一昔前の上海ではよくみかけられた旧風景であった。

 ハクラン(白蘭)の花は、名前のように白というより花びらの色は黄ならず白ならず、あたかも磨き上げた象牙の如く、表面は蝋のような鈍い光沢をもって、触り心地がたいへん良いのである。花の形は細長く、外形からスラッとした背の高い西洋美人のように、どことなくエレガントな風格を誇っている。

 ハクランの高貴と比して、道端に咲いている小さな野花のようなクチナシ(梔子)は素朴で可憐なイメージをもっている。花びらは八重咲きだが、派手さがまったくなく、真っ白な花は純真で麗しい。花の外形はジャスミンと似て、香りも強く、学名は「ジャスミンのような」と名付けられているのも一理ある。ハクランを西洋美人にたとえるならば、クチナシの花はまさに天真爛漫、純真無垢な小娘のようである。

 そよぐ清風に乗じてあらわれたきわめてナチュラルな香りは、人工的に調合されたどんな銘柄の香水よりも気品が高く、限りなく透明に近い玉石のような涼しげな、透き通った香気である。女性の肌のぬくもりで蒸し返されたその柔らかき、微かに甘味を帯びたる花香は、蝶影片々、万花爛漫のガーデン、あるいは渓流潺湲、青苔樹影の閑庭に誘い込むような神秘なる力をもっているが如き、夏場の煩悶や焦慮、鬱陶しさを一掃し、人をして洌き清麗なる洒脱な境地に至らせるのである。

 しかし、佳人薄命の如き、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と林芙美子が詠じたように、何日もしないうちに、花びらの先っぽは少しずつ茶色く変色するようになってしまい、高淡なる花香も日に日に薄くなり、ついにもろき命が枯れてしまうのである。一日でも花の美しさを長く世に留らませるために、一昔前の女性たちはよく湿らしたハンカチに花を大事に包んでおき、暑苦しい夏の夜を凌いだ。

 さて、なにゆえこの小文を「幻花」と題したか。その由を次の節に譲って語りたい。