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日本推理小説の祖(一)

2016年 3月 9日10:53 編集者:兪静斐

  作者:銭暁波

 若い大学生の間では東野圭吾をはじめ、日本推理小説のファンがどんどん増えてきている。なんともうれしい話である。しかし、推理小説を話題に話を進めてみると、ほとんどが東野圭吾で止まってしまう。ということは、日本推理小説の歴史を少々遡って考えてみる必要があるかもしれない。

 世界において推理小説というジャンルを定着させたのはアメリカの小説家エドガー·アラン·ポーであることはよく知られている。世界初の推理作品といわれている『モルグ街の殺人』が日本に紹介されたのは1887年(明治20年)、饗庭篁村の翻案小説によってである。以後、明治、大正にかけて、ポーの作品が盛んに訳され、日本に紹介された。それに触発されたためか、1889年に、篁村と同じように翻案小説の名手である黒岩涙香が日本初の探偵小説といわれる『無惨』を世に出した。

 これらの作品は当時、早稲田大学に在学中の江戸川乱歩に大きな影響をあたえた。ポーに傾倒していた彼はペンネームも「エドガー·アラン·ポー」に漢字をあて、「江戸川乱歩」としたのであった(本名は平井太郎)。乱歩は1923年(大正12年)、推理小説を掲載する専門誌『新青年』(1920年創刊)にデビュー作の『二銭銅貨』を発表し、一躍人気作家となった。以後、乱歩は健筆を揮い、『D坂殺人事件』(1925年)『屋根裏の散歩者』(1925年)『人間椅子』(1925年)『パノラマ島奇談』(1926年)『陰獣』(1928年)『芋虫』(1929年)『押絵と旅する男』(1929年)など、次から次へと秀作を生み出し、戦前の推理小説の黎明期において堅実な足跡を残した。

 江戸川乱歩の推理小説、とりわけ初期の作品はいわゆる「本格」と冠されるものが多い。甲賀三郎が命名したこの名称が指しているのは、論理的に謎を解決するという純粋な推理ものである。典型的な作品といえば、上述のデビュー作『二銭銅貨』で、これは日本最初の本格推理小説といわれている。

 『二銭銅貨』は主に暗号を使った謎を解いていく推理小説である。乱歩は大学時代から暗号に興味をもち、暗号史などを調べたこともあったので、小説の中で主人公のセリフを借りて、暗号に関する蘊蓄を大いに語った。暗号を使った謎の設定は西洋の推理小説にはよく使われる手法だが、『二銭銅貨』は英字ではなく、漢字を使った乱歩の独創的な発想が見事に活かされ、非常にすばらしいのである。

 ポーを代表とする海外の推理作家のほかに、江戸川乱歩の創作には意外な人からの影響があった。だれから影響を受けたか、なぜ「意外」かについては、また次回、語っていきたい。


日本推理小説の祖(二)