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上海•大阪交流文集|温かみと美しさ、挿花と華道の交流で結びつく上海と大阪の友情 

2023年 1月 3日16:46 提供:東方網

 『中国挿花·日本華道』という特別な本がある。

 本書には、山本玉嶺と蔡仲娟という2人の編集者がいる。前者は日本華道の重要な流派で知られる池坊聖流の家元であり、後者は上海挿花芸術協会の創立者·初代会長である。

 本書は1995年末に上海科学技術文献出版社によって出版され、今年で27年となった。

蔡仲娟氏

蔡仲娟氏の作品「豊神独艶」

山本玉嶺氏(中)と蔡仲娟氏(右):2007年

 「今年は中日国交正常化50周年である。この本を手にするたびに、日中国交正常化20周年を機に両国の挿花界と華道界の間で始まった交流の出来事が目に浮かんでくる。さらに、他界した山本玉嶺先生を偲ぶ気持ちになる」と、87歳の蔡仲娟氏は述べた。  

中日国交正常化20周年にあたる1992年、上海植物園は挿花展を開催し、当時70歳を過ぎていた山本玉嶺氏が招請に応じて出展した。その後、10年あまりの間、山本氏は住居地である大阪と上海を頻繁に行き来しながら、上海で開催される最大規模の国際挿花展に団体を率いて長年連続で参加しただけでなく、上海で講習会を10回以上行って日本の華道を教えた。  

 「中国の挿花と日本の華道は一衣帯水、一脈相通ずる関係であり、東洋的な芸術の個性を強烈に持っている。30年前、中国の改革開放につれて上海の挿花が徐々に振興していくなか、山本玉陵先生は、日本の華道をもたらすことで間違いなく私たちに外界への扉を開けてくれ、視野を広げてくれた」と、蔡氏は語った。  

 1990年代と2000年代を通じ、山本氏は一番重要な使命を果たすように、中日間で挿花と華道の交流を推進していく。長年にわたって上海で講習会を行なったけれども、謝金を受け取ったことはない。さらに、上海の同士を日本に招き、実地見学などを通じて協力を深めていった。これらの功績が認められて1998年、山本氏は「上海市白玉蘭記念賞」を受賞したうえに、上海挿花協会の名誉顧問にも招聘された。

山本玉嶺氏の作品「春の暖かさ」

 このような交流を背景に、中国の挿花と日本の華道の芸術家からそれぞれ60点の作品を集めた『中国挿花·日本華道』という本が出版された。本書の中で山本玉嶺氏は、華道芸術の心得をこう総括している。「四季の花卉材料を調和し、日常生活に持ち込み、人々に温かみを与える。百花の個性を生かし、様々な造形で人々に美しさを感じさせる」。蔡氏からすれば、このような総括はまさに山本玉嶺氏の人柄及び彼が長年にわたって中日間で挿花と華道の交流に専念した精神の投影に他ならない。  

 2011年初頭、蔡氏は山本氏から手紙をもらい、氏が左足の骨折による手術のために療養していることを知らされた。手紙で山本氏は、89歳の誕生日を迎えるに当たって、もう一度上海の国際挿花展に出席したいという意思を表明していた。しかし、残念ながら氏はその年の7月に逝去してしまった。その気持ちを蔡氏は、「断腸の思いで涙を流し、深い悲しみに包まれた」と述べ、今でもその手紙を大切にしているという。  

 そのころ、蔡仲娟氏は24年間務めた上海挿花芸術協会会長を退任したばかりで、癌の治療による手術後のリハビリに取り組んでいた。中国を20回以上訪問し、日本の華道を伝授し、両国の民間交流の促進に生涯をささげた山本玉嶺氏について、蔡氏は、「言うまでもなく、彼の晩年は素晴らしくて価値のあるものだった。自分のお手本でもある」と評価している。

山本玉嶺氏と蔡仲娟氏の合作「緑水春華に溢れる」  

 今、中国は物質的な面でますます豊かになり、国民もゆとりのある生活に入っている。人々の精神的な追求が絶え間なく高まるにつれ、挿花分野も新たな発展の「黄金時代」を迎えている。そのため、中国内外の芸術家や関連企業も大いに腕を振るう舞台が用意されるようになった。蔡氏は最後に、「中国と日本の同士が再び花を媒介として交流を拡げたり、友情を深めたりして欲しい。そしてその中で、東洋における挿花と華道の芸術的な魅力を再現していくことを特に期待している」と述べた。

作者:呉 宇