ようこそ、中国上海!
在上海多国籍企業職場復帰ケース

Home >> 新着 >> 上海

上海•大阪交流文集|言葉を交わす時 -私の阪大留学記-

2023年 1月 3日16:36 提供:東方網

  私は上海外大日本語専攻の一学部生として大阪大学へ留学する機会に恵まれ、2018年の秋から2019年の秋にかけて、「水の都」たる大阪で忘れられない1年間を過ごした。阪大で私は外国語学部中国語専攻に編入されたが、学部と日本語日本文化研究センター両方の授業を受けられるようになっていた。阪大の外国語学部は大阪府北部の箕面市に位置しており、賑やかな梅田までは電車でも1時間強かかってしまう。一方、私は豊中キャンパスの近くにある清明寮に住んでいたため、梅田までは30分ほど節約できたが、毎日7時40分発の連絡バスに乗って、振り子のような揺れに催された眠気に襲われながら、朝一の授業に出席しなければならなかった。4月の箕面キャンパスで通り過ぎた桜の咲き乱れる坂道、6月の豊中キャンパスで眺めた待兼山の澄んだ池水、連絡バスが掠めた町々の爽やかな風景などなど、この文章を書くに際して、阪大で過ごした1年間がまた目に浮かび、今でもなお生き生きとしている。それでは何を書けばよかろうかと筆を手にして茫然としている時、ポツンと記憶の奥から3人の姿が現れてきた。筆に任せて、その3人のことを少し記そう。

 箕面キャンパス坂道の両側の桜並木

 箕面キャンパスの周辺は緑豊か

  一、古川先生と映画字幕翻訳  

 古川裕教授は私の指導教官であり、現代中国語文法研究と在日中国語教育の大家である。古川先生は中国語が極めて上手で、パスポートでも見せてくれない限り、日本人だとにわかに信じがたいほどである。古川研究室のドアには中国で買ったといわれるプレートが貼ってあり、「请讲普通话(普通話でお願いします)」と書いてあった。しかし、「话(HUA)」のピンイン表記はメーカーの取り間違いで「HUO」(中国語では「活」の発音となる)となってしまった。「あれ、おかしいなあ、请讲普通『活』のはずなのに」と、毎回そのプレートのことに触れると、大阪人のユーモアのセンスの高さを讃えている古川先生はいつも冗談めいた口調であえて「活(HUO)」と発音した。  

 古川先生の講義は中国人と日本人が半々の模様で、院生もいれば、学部生や留学生もいた。みんなでセンター試験の中国語科の試験問題を検討するなり、趙元任の著書『漢語口語語法』を読むなりして中国語の奥深さを追究していた。中国語の「池」「湖」と日本語の「池」「湖」とはどのような違いがあるのか、「桃」「桃儿」「桃子」はどれが正しいのか、日本語母語話者が中国語を勉強する時にはどのような先入観を持ちやすいのか、古川先生に導かれてそれらの問題を考えていくうちに、私は日本語専攻の学生でありながら、母語である現代中国語に対する認識が徐々に深まっていくような気がした。いかにして中日両言語間の差異に気づき、それを言語教育に生かすのか、それを学んできたことは私にとって一番の収穫とも言える。

 そして、毎年3月、大阪では「大阪アジア映画祭」が開催され、中国各地からの映画が上映されていた。そこで映画字幕監修を務める古川先生は、春学期にやはり映画字幕翻訳を講義に持ち込んでくれた。一行13.5字の原稿用紙に、中国語のセリフを日本語に訳していく。日本人の学生がセリフの意味を精確に読み取るのに焦り慌てているいっぽうで、日本語専攻の中国人留学生たちは、すでに心得た意味を的確な日本語に変換するのにいらいらしている。私が帰国した後、古川先生は何回も上海に足を運び、私のいる上海外大を訪れたこともある。上海外大の虹口キャンパスのカフェで、私は同期の留学生が映画字幕翻訳を卒論にしたことを先生に報告した。すると、古川先生は「当然さあ、おもしろいやからなあ」と微笑んだ。

今も所蔵する2018年の映画字幕翻訳講座のポスター

中古音韻尾の一種の構造について説明する鈴木先生

阪大中国語演劇団公演「楊貴妃」

公演のポスター

 二,鈴木先生と中国語音韻学ゼミ  

 賑やかな古川ゼミと違って、鈴木慎吾先生の講義は少し「寂しい」雰囲気が漂っていた。定員40人の教室にはいつも7、8人しかいなかった。受講生は学部生から博士後期課程の院生までバラバラ。年末の時などインフルエンザのせいで2人の病欠が出て、出席人数がさらに減ってしまった。中国なら不思議に思われるが、鈴木先生のゼミは1対5が常態のようであった。  

 鈴木先生の専門は中国語音韻学といって、中国においても研究者がわずかしかいない分野である。先生はいつもグレーのコートを身にまとい、ベージュのマフラーを巻いている。肩に無地のキャンバスバッグ、手に紙カップで、先生は悠然と教室に入ってくる。秋冬学期はカールグレンの著書『中上古漢語音韻綱要(Compendium of Phonetics in Ancient and Archaic Chinese)』を読み、春夏学期はオドリクールの論考『ベトナム語の声調の起源(De l’origine des tons en vietnamien)』をかじった。みな英文のテキストを用いたため、かなりの苦戦となった。ほかに鈴木先生は、学部生の広東語の授業も担当していたようである。「普通話でお願いします」の古川先生と異なって、鈴木先生はあまり中国語を話さず、講義は主に日本語で行われていた。あるいは音韻学という学科の特性かもしれないが、鈴木ゼミでは、中国人留学生にせよ、中国語を勉強する日本人にせよ、広東語を教える日本人にせよ、みんな英語で文章を朗読し、普通話を交えながら日本語で発表をし、時々留学生から中国語方言の情報を聞き出し(私は故郷常州の情報を提供し、浙江大学からの留学生は紹興と福州の情報を提供した)、一緒になって中古漢語の音韻を追究していた。このようなミスマッチはなぜか心地よく感じられていた。ある時、授業終了後に私は鈴木先生と一緒に箕面キャンパスの食堂で昼ご飯を食べることになった。先生の注文は簡単で、うどんにコロッケとほうれん草だけ。

 「先生はどのようなきっかけで広東語を勉強されましたか。」と尋ねると、  

 「あの時は香港の映画が好きでね。勉強ばかりやって刺激がないとすぐ飽きてしまうから、香港の映画は本当にエネルギーの源でしたよ。」との答えだった。


三,武田くんと阪大中国語劇団

 阪大では留学生のためのチューター制度が設けられ、日本人の学生が留学生の日本語学習や日本での暮らしを手伝う形になっている。私のチューターは中国語科2年生の武田庸平君であった。武田君は京都人で、大阪で部屋を借りることなく、毎日2時間ほどの電車に乗って授業を受けに来ていた。中国語科の基礎中国語の授業は留学生の参加が慣例のようで、母語話者がいれば教える側にも学ぶ側にも助けになるし、留学生にとっても日本人の学生たちと交流できて自分の日本語を精進する大きなチャンスである。私も勿論例外ではなく、週に一度、基礎中国語の教室に顔を出していた。午前の授業が終わると、武田君や中国語科のほかの学生たちと一緒に食堂で弁当を買い、教室でむさぼりながら雑談を楽しむ。午後の授業が終わると、いつもみんなでキャンパスの近くにあるケーキ屋に行って、最近勉強したこと、中国の歴史、中国の方言や地理など、さまざまな話題について語り合い、まもなく閉店だと店員に注意されてやっと店を後にする。中国語科の学生たちは中国語を勉強するきっかけが多様なようだった。武田君曰く、中国語が話せれば必ず将来に役立つから、中国の人口が多く、中国語が話せて初めてそんなにたくさんの人々と交流できるから、ということである。中国語科にはまた歴史マニアの案浦君がいて、歴史学専攻でない中国の大学生なら、おそらく彼が出した中国歴史「小テスト」には合格できないであろう。思うに、中国の歴史が好きな気持ちが案浦君の中国語学習のモチベーションの一つかもしれない。中国では日本のアニメやゲームに惹かれて日本語を勉強し始める人も少なからずいると同時に、日本では中国の美食や社会に対する好奇心もまた中国語勉強の原動力となりうるのである。雑談が一段落すると、チューターの武田君はよく頭をかいて申し訳なさそうに、「日本語はもう王くんに教えることはないかな。」と言ってくれた。  

 武田君は阪大の中国語劇団に参加していた。劇団は毎年秋に公演を行い、時々台湾まで行くこともあった。劇団の学生たちは自分でシナリオを立て、留学生に発音を指導してもらい、毎週の練習を怠らない。阪大にいたその秋、劇団は自作の『楊貴妃』を公演する予定で、武田君はそこで楊国忠を演じることになった。その間、私も武田君にセリフの区切りや発音を手伝った。劇団には見覚えのある顔が多く、古川ゼミで見かけた学生や鈴木ゼミで一緒だった先輩、ほかの専攻に所属する中国人留学生、などなど。公演の日、私は観衆のひとりとなってステージの上に目を凝らしていた。「あそこ、また間違っちゃった」と嘆いたり、「そうそう!あのセリフは力強く言わなきゃ」と興奮したりして、劇団のみんなの素敵な演技を堪能した。私の帰国に臨んで武田君は、「最新情報。劇団は今ビリビリ動画でアカウントを作るかどうか検討しているよ。もし作ったら、チャンネル登録してね」と誘ってくれた。  

 梅田の賑わいや淀川の艶々しさは勿論印象に残っている。しかし、私にとって、それらよりもさらに忘れがたいのは大阪という町で、阪大のキャンパスで出会った人たち、彼らと言葉を交わす時に感じた緊張、喜びと感動である。中日国交正常化50周年を迎える今年、阪大で過ごした1年間を顧みると、あらためて「交流」という2文字に込められた、ある種の、素朴な、柔らかい力を感じる。心を落ち着かせて膝を交え、互いに歩み寄ろう。真摯を以て向かい合い、言葉を交わそう。そうすれば、生まれた友情はきっと青いせせらぎのように心に流れ込むであろう。

夏の豊中キャンパス

阪大キャンパスフェスティバル


作者:王竣磊(上海外国語大学日本文化経済学院修士課程)