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上海•大阪交流文集|友好一路 共に未来へ向かわん

2022年 11月 2日16:50 提供:東方網

 上海と大阪地区との両地は、地理では近く、文化では相通じ、交流では昔から続く。  

 しかし、新中国が創立して以来、両地は長きにわたって意図的に隔てられ、官民の往来は途絶し、友好的交流や互いの協力の願いなどは抑制されてきた。  

 1972年、中日国交が正常化して、友好往来や友好協力を阻害し制限する要素が次第に撤廃された。両地間の友好意欲は解放されて、友好活動がいち早く推し進められた。両地は同じ目標に向かい合って立ち上がったため、官民あげての大衆的友好交流の情景が目に見えて増えだした。  

 1973年9月27日、大阪市の大島靖市長の書簡が上海市に届いた。「国と国、人民と人民、都市と都市、市民と市民などの交流を強化して友好を深めることはたいへん重要であります」、「両市の友好都市関係が結ばれんことを願う次第です」と認められてあった。そして翌年の2月、上海市の招きに応じて、大阪市は西尾正也市長室室長を初めとする先遣隊を派遣して、両市の友好都市締結について上海市の関係方面と協議に入った。長年にわたって日中友好事業に携わってきた日中友好協会大阪府本部雨宮礼三理事長が助手と友好人士である生駒邦夫氏とともに同行されて、両市の友好都市締結及び友好交流について進んで建言された。同年4月18日、万端整ってめでたく上海市と大阪市との友好都市が誕生した。  

 このようにして、上海と大阪地区との両地には官から民にわたるいろいろな友好交流活動が広く、続けざまに展開されだしたのである。  

 1978年から始まった中国の改革開放は、上海と大阪地区両地の友好交流協力活動をさらに力強く推し進めた。双方は引き続き同じ目標に向かい合って行動し、これまでになかった両地の世世代代友好を願う高まりを見せて人々を感動させた。ほとんどの階層の人々が次々と友好交流協力活動に参加しだして、活動の内容は広く、豊富で、意義あるものとなり、雰囲気は真摯で、情熱的で、誠心誠意であった。互いに訪問しあい、互いに学びあい、互いに了解しあい、互いに尊重しあい、互いに助け合った。友好の情熱と喝采が彩った。  

 そして、大阪府はやはり同じ目標に向かい合って立ち上がり、1980年11月21日、万端整ってめでたく上海市との友好都市が結ばれた。ここに至って、大阪地区の二大地方自治体の大阪市と大阪府が相次いで上海市の友好都市となり、両地の友好交流協力の固い基盤が出来上がった。  

 何年もたたずして、両地が大衆的友好交流の高まりを長く盛り上げることが出来た原因を筆者は以下によるものと見なす。その一は、両地が地理的に近く、文化が相通じ、交流が昔から続いて、民衆は親しくしやすく、心が通じやすいからである。その二は、両地が共に進んで同じ目標に向かい合って立ち上がり、友好交流協力活動を共にたえず推し進めてきたからである。その三は、両地が、「前の事を忘れず、後の事の師となし、歴史を鏡とし、未來へ向かう」をもって、中日両国間の過去の戦争の歴史に対処して、世世代代友好の強い叫び声を心から発しているからだ。その四は、両地がこれらの友好交流活動を通じて共に相互尊重、協力によるウインウイン、広々とした和やかな空間を創出しようと願うからである。  

 大阪地区が上海の改革開放と近代化建設を支持し、寄与してきたことは上海市民が目にしてきたことであり、水を飲む際は井戸を掘った人を忘れずにを胸にずっと刻み込んで感謝してきた。2001年、上海国際友人研究会と大阪編集協力委員会とが共に努力して様々な困難を乗り越えて『中日友好に貢献した人びとー大阪地区著名人士の事績』(中国語版と日本語版)が編纂されて、上海訳文出版社から中国版が出版された。

 これには末川博氏、小畑忠良氏、菅原昌人氏、金子二郎氏、雨宮礼三氏、松田竹千代氏、斎藤保次氏、吉村孫三郎氏、久保専治氏、川勝伝氏、森井庄内氏、大西良慶氏などなどの35名様の事績が収録されている。彼らは大阪地区と上海の両地における日中友好交流協力活動の潮流を押し上げてきた先駆者たちであり、柱石でもあり、そして友好の井戸を掘った人たちである。井戸を掘った人たちを胸に深く刻んで忘れずにいる上海人民の心よりの謝意と敬意がこの書籍に込められている。  

 日中友好活動の先駆者、上海人民の尊敬する友人雨宮礼三氏が上海万国公墓に安らかに眠っておられる。その墓碑は大阪と上海との各界の人たちによって建立された。雨宮礼三氏は生前かつてこのように言われた。「日中友好活動は心の奥底から発せられた善良な願いによって起こったものであり、……国民の各界に秘められた日中友好にとって有利な可能性をことごとく吸収すべきである」と。彼は「互いに心を打ち明けられる」日中関係が構成されることを強く願った。

 21世紀に入って以来、世界は百年来未曽有の大変化に面している。上海と大阪地区は共に新しい時代を迎えている。両地間の友好交流協力はこれまで途絶えず続いているが、双方ともに大きな変化が起こってきたため、友好交流協力もその変化に従って変わってきている。友好交流協力の内容についての要望が高くなり、世代交代が続き、友好交流協力に対する受け止め方が徐々に変わってきている。人員往来がますます自由便利になったため、以前のような大衆的な活動の勢いが衰えてきている。人員の流れの向きも徐々に逆転してきて、大阪地区からの上海への流れが減少し、上海から大阪地区への流れが大幅に増加してきている。両国関係が紆余曲折を見せて、不安定要素が両地の大衆に不安を与えて、友好交流協力の展開に悪い影響をもたらしている。両国は新しい時代の要求に合致した中日関係の構築を模索している。これは両地が友好交流協力を順調かつ効率的に推し進める大前提だ。文化が相通じ、交流が昔から続く両地が友好一路にして相互の理解を深め、相互の尊重を増進し、相互の信頼を深め、親睦意識を強め、共同体意識を高めていき、共に未来へ向かって、新しい時代の要求にかなった友好交流協力の新パターンを作るべきではなかろうか。

(作者:兪彭年)